ドリームランドexp. 地球道草アンダンテ

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セブン&ワイ
ドリームランドexp.on the web 〜人生旅日記〜
'07,May
ブログを始めてみる

現在月刊フラワーズで連載中の旅エッセイ漫画"ドリームランドexp."のエピソードとリンクした話題と写真をアップしたり、旅先から携帯で簡単に更新したりできるように、最近ブログを始めた。

ドリームランドexp.を書き始めるまでは、エッセイというものに、ぶっちゃけまるで興味が無く、読む事も、ましてや書く事なんてありえない、と思っていたものだけれど、書き始めてみると、ノンフィクションには、フィクションとはまたちがった魅力があることを知った。

そして最近初めて、人様の書かれたエッセイ本という物も、読ませていただいた。
それは友人が貸してくれた、N響のヴァイオリニストの方が書かれた、オーケストラの内情やヴァイオリニストの実態を激しく暴露した物*であり、衝撃と笑い無くしては読めない逸品であった。
(*『ヴァイオリニストは肩が凝る』)

この衝撃と笑いの由来が、現実の出来事から生じる、というのがエッセイ本の醍醐味である、なんていうのは、私なんかよりもずっと前からエッセイに親しまれてこられた方には全然新しい発見のようには聞こえないかもしれないけれど、私にとってはとても新しい発見なのである。

同じホモサピエンスとして生き、あるいは同じ国や街等を歩いているのに、何故人それぞれに遭遇する出来事に、こんなにも違いがあるのか。何故幸運だったり災難だったりおいしかったりこの世の物とは思えない程まずかったり、楽しかったり悲惨だったり、褒められたり怒られたりするのか、同じツアー仲間のメンバーだったりするのに。これはつまり、ノンフィクションのようでいて、実はフィクションだからではないのか。

体験が人それぞれのオリジナリティーを通過した時点でもはやそれは、共通の体験のようでいてそうではなく、また人生において偶然遭遇したかに見える体験そのものでさえも、人は各々のオリジナルティーによって、見えない意図を画策して自ら選んでいるのではないのか。 おもしろいエッセイを書くために!?

エッセイ本を2〜3冊読んだだけでそんな印象すら受けてしまうほどに、実人生はオリジナリティーにあふれ冒険に満ちている。そうだ! エッセイは、それぞれの冒険の記録なのだ!!幸せかどうかなんて関係無い! 何故ならエッセイは、そして人生は、各々の冒険の記録なのだから!!!

と、エッセイや人生に壮大なミッションを感じるかどうかも人それぞれですが、新しいブログもどうぞよろしく。
→ 『大竹サラの雑記帳』http://diary.jp.aol.com/dgnf3xcckcy/

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'06,June
プロミタちゃん

5/28発売号の”月刊フラワーズ”掲載、”ドリームランドEXP."で触れた「プロミタちゃん」の写真。 撮影者はパスカルズのメンバー、うつおさんだ。

これは2005年3月、パスカルズ・ヨーロッパツアーの最中に立ち寄った、スペインのさびれたドライブインで見つけた袋菓子。。。というか、中身はミックスナッツだったりポップコーンだったり、この写真ではなんとなく小魚の乾物が入っているようにも見え、不二家のペコちゃんのスウィーツな印象とはひと味違う、ちょっと大人の世界のペコちゃんならぬプロミタちゃんである。

もしや妹なのではなくて、ペコちゃんの未来形?
髪を黄色く染めて海を渡り、夜の世界にデビューしたのでしょうか。

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'05,Oct
アスペンのアーロン

渡米を控えたある日、なんとなくテレビを眺めていたら、見覚えのある店、見覚えのある街の風景が突然目に飛び込んできた。その特番は、絶体絶命の危機から奇跡的に逃れた人々の実話を再現ドラマで紹介するという物で、その1話目が、私にとっては馴染み深い街、アメリカ、コロラド州アスペンに住む28才の若者、アーロンの話だったのだ。

アーロンはプロのロッククライマーで、ある日ひとりでユタ州の国立公園にロッククライミングをしに行き、そこで事故に遭った。岩を登っている最中に足をかけた岩場が落下して転落、低い位置だったので命に別状は無かったが、なんと右腕を、落下した岩と岩壁の間にはさまれ、身動きできなくなってしまったという。持っていた登山ナイフで岩を削ったり力まかせに引っ張ったりしたものの、びくともせず、遭難は6日目に突入し、彼は生きて帰る事をあきらめ、持っていたビデオカメラに両親への遺言を残した。しかしその夜、プロンドの少年が「パパ」と言ってアーロンに駆け寄る夢を見て、独身の彼はそれが自分の未来の息子だと確信する。あの息子に、なんとしても生きて会いたい、というわけで、そこから身の毛もよだつ・・・じゃなくて、感動的な、彼のがんばりが始まるのだ。

彼はなんと、持っていた登山ナイフで、しかも大きい方のナイフは岩を削ってぼろぼろになっていたので、まるでカッターのような歯を持つ小さい方のナイフで、岩にはさまれている方の自分の右腕を、切り離そうと奮闘するのだ。
まず骨を折って、と彼は言う、そしてそれから地道に腕を切り離してゆく。そして成功するのだ。右腕を失って、血だらけで歩いているところを、登山者に発見され、無事に帰還したアーロン。アーロンは今も元気でロッククライミングをしている、というのがテレビで紹介されていたお話であった。

この衝撃的な実録再現フィルムを見ている時、私はなんとなく、このアーロンと近々会うような予感で心がいっぱいに満たされてしまった。まあ、アスペンはせまい街だし、彼の働いているというスポーツショップでは私も何度か買い物をしたことがあり、偶然会ったとしてもさほど驚くべき事でもないのだが。
というわけで今月2日、そのテレビを観た1週間後くらいだったか、渡米した私はアスペンへ向かうため、シアトルから乗り継いでデンバー国際空港に着いた。そこからアスペン行きの小型機に乗り換えるのだが、なんと私の乗るはずだった飛行機が欠航、ゲートを移動し、一息着いた時である。アスペンからデンバーに到着した小型機から降りて来た乗客の中に、かのアーロンを発見したのである!

これはすごいインパクトだった。だって彼の右腕は、高性能ロボットのようなメタルブラックのピカピカの義手で、そのサイバーな存在感のすごいこと!千の機能を備えたメカ腕なのではないか、とさえ思えるような迫力なのだ。ゲートで飛行機を待っていた、ほとんどの客が彼に注目していて、彼はその視線の中を、あきらかににこやかに、鼻高々といった様子で通り過ぎてゆく。話し掛けようかな、と思ったんだけど、やめにした。だってあまりにも輝いていたので、時差ボケと長旅でヨボヨボだった私には、いささかまぶしすぎたのだ。アスペンに着いて地元の友達と話したら、みんな彼の一件を知っていた。コロラドの新聞に大きく掲載されて、彼は一躍スターになったのである。

それにしても、アメリカにいて時々感じるのは、肉体の欠損について、あまり深刻に気に止む人がいないように思えることだ。私の友人にも、右手の人さし指が根元から無い人がいるのだが、どうして無いの、と聞くと、あんまり興味無さそうに、どうしてだっけ、昔日曜大工をやってた時かな、なんて調子で答えてくれたものである。
まぁ、無くなってしまった物の事をいつまで考えていてもしょうがないっちゃあしょうがないし、所詮肉体は消耗品、長い人生の中で、欠けたり削れたり無くなったりしても、それはそれで、思いっきり肉体を使って生きてきた証と、言えるかもしれないな。

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'05,Sep
flowers 11月号

具体的な事はこのような場では語れないのだが、月刊flowers11月号の掲載作品について、掲載土壇場で大幅な内容の見直しが必要となり、状況的に編集の方にかなりの部分のネーム(台詞等)の変更を一任せざるをえない事態になってしまった。

この数カ月、なんとなく掲載作品のネームが、微妙に本原稿の印象と違うということが頻繁にあった。
たとえば書いたと思っていたはずのネームが途中までしか印刷されていなかったり、書かなかった物が印字されていたりというような、いずれにしても写植ミスとかこちらのケアレス・ミスとかが原因で、描いた本人は驚くけど、それ自体は作品としての大きなダメージには、多分さほどつながらないようなささいな物だったのだが。しかしそのような細かい出来事が警鐘のように相次ぎ、のちに大きめの事件が起こるというのは、私の人生によく起こる事だ。結果、11月号のような出来事に繋がってしまったわけだ。

なんて宿命めいた話に摺り替えて、責任逃れをしてはいかん。すべては私の不徳のいたすところ。お忙しい中、変更不可能な作画画面と、変更しなければならないネームとのバランスをはかりながら、不自然な作品にならないようにと、私の替わりに考えぬいてくださった編集さんに、感謝しますです。

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'05,May
占星術師迷走

 トーマス・グレゴリーが逮捕された。グレゴリーは、私の知る中でも信頼のおけるアドバイスのできる数少ない占星術師だ。占いが当たる確率も高かったが、それよりも占いに附随するコラムに含蓄が深かったので、私は彼の愛読者だったのだが、今月初旬、彼は彼の住む、コロラド州カーボンデールの警察に逮捕されてしまった。罪状はなんと、少女への性的虐待、と私にそのニュースをもたらした友人は言ったが、実情は、親しくしているご近所のお家の13才になる少女に、「ぼくはきみにぞっこんだよ」と言い、その少女と少女の妹に、「おいしそうだね」と言い、お尻を触ってシャツの下に手を入れ、胃のあたりをマッサージしたのだそうだ。グレゴリーは60代半ば位の容姿で、少女にとってはおじいちゃん、といった存在感であったろうが、グレゴリーにとって、少女は一体なんだったのだろう。

 通常この類いのニュースを聞くと、有罪決定よかったよかった、とシンプルに片をつけて思考停止状態になるのだが、捕まった側が私の好みのタイプのコラムを書く数少ないライターであったため、ちょっといろいろと考えてしまった。中世の魔女狩りなどまで思い起こし、この事件も少女の過敏さから来るヒステリーが事を大きくしただけなのではないのかとか。しかしもう子供とは言い切れない年齢の13才の少女が、親しかった近所のおじいちゃんを逮捕させたほどに、その行為を不快に感じたという点がまず大事なのだということを、忘れてはいけない。グレゴリーの目に、少女がどのように映っていたのかはともかく、思春期の過敏な時期の少女でなくとも、いきなり近所のじいさんにお尻を触られれば、ただ事では無いと感じるのも無理は無い。

 デリカシーは大切なのだ。親しいと思っている相手が、実はそれほどには自分に気を許していないなんてよくあること。好意や親愛の情から生じた馴れ馴れしさが、温度差のある相手にとっては不愉快きわまりない場合がままあるという普通のことを、何故に含蓄のあるコラムを書くトーマス・グレゴリーに気づけなかったのか。星回りが悪かったのか、仲良しの子供相手だからと油断したのか、それともやはり、なんらかの衝動を、ただおさえられなかっただけなのだろうか。なんとなくクレイジーな雰囲気の漂う外観の人だけに、なんとなく今回の逮捕劇には、さほど違和感を感じない部分もあるのだが、かといって、深刻なタイプの幼児性愛者的異常人物にはあまり見えない人だけに、少しばかり本人の言い分も、聞いてみたい気もするのである。

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'05,Apr.
動物三昧

うちの馬のアポロンは、現在わけあって某牧場でいろいろな種類の動物達と同居している。したがって、アポロンに会いに行くたびに、私もいろいろな種類の動物達と会うことになるのだ。漫画家のような仕事ではふだんあまりたくさんの人様に会うことは無い。アポロンに会いに行く頻度の高い私は、したがって人間社会よりも、動物社会での日常の方が当たり前となる。先日も、人間関係のごたごたに疲れ果てた友人から電話をもらった時、似たような不愉快が自分の身にも起こらなかったものかと考え巡らせたところ、ラマのラマ男に威嚇されて唾を吐かれた、とかそんなことしか思い浮かばなかった。

ラマというのはラクダを美しくしたようなラクダ科の哺乳類で、中南米あたりにたくさんいるやつだ。そのラマが件の牧場にいるのだ。名前はラマ男。たいていの動物達が、気立ても優しく愛嬌も行儀も良いその環境の中で、ラマ男はすごい。すんごく凶暴だ。近寄ろうものなら、後ろ足で立ち上がり、4メートルはあろうかというその立ち姿と恐ろしい形相でこちらを威嚇し、かーっと言って唾を飛ばす。一度などはいったん遠ざかったので、珍しく逃げてゆくのかと思いきや、助走をつけてこちらに突進してきた。すんごい形相で。残念ながらつながれているため、そのまま私に襲い掛かることはできないが、気迫だけは十分に伝わってきた。ものすごく恐かった。

しかしなんだか私はこのラマ男のそばを離れることができない。いつもずうっとそばにいてしまう。そばにと言っても、危険でない程度のそばにだが。ラマ男は姿がとても美しいし、顔もとてもかわいいのだ。いわゆるイケメン。仲良しになれればいいなぁと思うが、唯一慣れているというその牧場のオーナーでさえ、ある日防寒の目出し帽をかぶってラマ男に近付いたところ、後ろ足で立ち上がられ前足で肩を押さえられ、唾をはかれて噛まれたそうだ。怪我はたいしたことはなかったそうだが、心に深い傷を追った。動物だから匂いで自分とわかってくれると思ったのに、ラマはそうではないみたい、と悲しそうに語ったオーナー。ラマ男、恐ろしき野生。

このラマ男と正反対の位置にいるのが、牧羊犬のシローであろう。シローはいつも牧場に客が来ると、必ず出迎えに来てくれる。黒い背中に白い胸毛を持つシローはまるでタキシードに身を包んだ一流ホテルのポーターのようだ。穏やかな笑顔で?いらっしゃいませ、というがごとく足下に座り、こちらです、という風情で客を牧場中央まで案内する。途中何度も振り返り、客が自分を見失っていないか確認するのだが、私などが途中で猫かなんかにつかまって立ち往生していても、あらあら、お手が汚れますのに、といった風情でじっとその様子を見守り、私が再び歩き出すまできちんと数歩先で待っていてくれるのだ。時折放牧されている馬や豚が私に歩み寄ろうものなら、ささっと私と彼等の間に割り込み、彼等を威厳あるまなざしで一瞥する。すると馬も豚もすんなりと元来た道を戻り、シローは、大丈夫でしたか、気をつけてくださいね、という顔で私を見上げるのである。動物と見ると理性を忘れて、危険かどうかの判断もつかずにメロメロになついてしまう私なんかより、はるかにシローは大人なのだ。

この牧場では、動物達にむやみにおやつをあげたりするのが禁止されている。それを知らずにおやつをすすめてしまった私への、シローの反応は微妙だった。落ち着かない様子で私の前に座り、恐る恐る、ちょっと唇をとがらせるみたいにして差し出されたおやつを喰わえ、本当はいけないんです、でもお客様からいただいた物を、むげにお断りするのは失礼ですから、といった顔付きで、ほんの少しだけかじり、そして、ああおいしいですね、せっかくですからもう少しいただきますね、という思いやりの風情で、残りを素早く、しかし上品にたいらげたのだ。もちろん、おかわりを要求することなど決してない。私の手に残るもうひとつのおやつを一瞥するや、まるで話をそらすかのように、ささ、もう行かなければ、という様子でそそくさと、しかし礼儀正しく立ち去り、いつもの持ち場に戻るシロー。封を空けたポテトチップスを、いけないと思いつつ一度にすべて食べつくしてしまうような私という人間なんかとは
、品格も頭の出来も違うのである。シロー、恐るべき理性の犬。
 
きっとシローなら、ラマ男が私に唾を飛ばしても、身を呈して助けてくれるだろう。そんな勇姿を、いつか見てみたい気もする。だけどシロー、ラマ男はともかく、私は駆け寄ってくる馬たちや豚たちと遊びたいのです。たまには仕事を忘れて、ゆっくりくつろいでくださっていて結構よ。

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'05,Mar
イングリッシュamusegueule
フランス/ドライブインにあったライオンの化石。建設時発見されたらしい。

今月8日から約3週間、フランスを中心とした、パスカルズ欧州ツアーへ出かけてきた。アメリカに慣れ親しんでいる私にとって、フランスは実に異国情緒の国、と、居心地の悪さと猛烈なる違和感を、前回までは感じていたのだけれど、今回がらっと印象が違ってしまった。私が慣れたのか、フランスが変わったのか、それは定かでは無いのだが 、今回私にとってフランスは、実に親しみのある、居心地の良い、心優しく暖かく美しい国であった。

適度に通じない言葉もまた、外国にいるという感慨に浸らせてくれるし・・・とはいうものの、実はフランスは、中高校時代基礎英語を習う日本人にとっては、もっとも言葉の通じる西洋なのではないかとさえ思う。フランス人は、50パーセントくらいの確率で英語を話すし、この確率は、カフェーやホテル、空港、といった公共施設を第一の念頭に置けばもっと高くなる。公共施設で働くほとんどのフランス人は英語を話す。そしてフランス人の英語は、日本人にとっては、とても聞き取りやすい英語だと思う。はきはきとした、いわゆるカタカナで一音ずつ書けるようなすっきりとした発音で、母国語ではないせいもあるのか、言い回しなども実にシンプルだ。またフランスの人は、日本人の英語を実にたやすく理解する。アメリカやイギリスでは到底通じないような日本語的カタカナ英語が、すんなりと通じてしまうのだ。私などはどういうわけか、「鳥/bird」の発音が苦手で、アメリカの友人などからは何度も聞き返される、という経験を未だしているのだが、フランスでは普通に、日本語モードで「バード」と言えば、まったくするりと通じるのであった。むしろ、アメリカで通じる部分が通じないことすらあり、これは、アメリカ英語に慣れている私には始めやや厳しくもあったが、慣れるとそれなりに、やはり楽ちんなのだった。

また、フランスの英語事情と言えばひと昔前に言われていたような、フランス人はプライドから英語を話したがらない、というのも迷信か、あるいは百歩譲ってそんな事実があったのだとしたら、それは何世紀も昔のことだと思う。私の知る限りにおいてフランス人は、おおよそみんなオープンマインドでフレンドリーで思いやりがあり、そのような偏屈な、あるいは歪狭な印象はどこにもなかったのだ。というわけで、中学生レベルの英語ができれば、フランスは、特にパリは、イギリスやアメリカなんかよりずっと、言葉事情に限って言えば、日本人にとってはハードルの低い国なのかもしれない、というのが私の今回の感想だ。

ただ、フランスをはじめとして、英語圏ではない国にせっかく行ったのに、英語に頼り切りなのもつまらないので、少しずつでも、訪れた国の言葉を覚えたいとは思う。そして今回も少しだけ、フランス語を使ってみたら、ちゃんとわかってもらえた。そういうのはやはり嬉しい。それにフランスでも地方に行くと、まったく英語が通じない土地もあるし。そして実は、言葉が通じないのも、それなりに私は楽しいのだ。よくわからないメニューを見て注文するスリル、街を歩いていても少し心細いようなあの感じ、あれはやはり、言葉の通じない国でこそ味わえる醍醐味ではないかと、思うのである。そういう意味で、今回フランスは私にとって、やはりいい案配にいろいろ楽しめる、楽しく素敵な異国なのであった。

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'04,Nov
インタビューwithフィリップ

2003年、パスカルズ・フランス・ツアー最終日、打ち上げパーティーの席でフランスのツアーマネージャー、フィリップと歓談。彼は仕事で日本に来るたびに、マーケットで和風の酒の肴を買い、その未知なる味に一喜一憂すると言う。たいていはおいしい物に出会えて感謝感激なのだが、一度だけ、とても凄惨な出会いがあり、未だ忘れられないと言っていた。彼の言う、その、ねばねばしていて棒状で、彼にとっては言葉では言い尽くせないほどにまずかった物について、その日は彼の記憶の曖昧さから、一体それがなんだったのかを聞き出すことはできなかった。そしてそれについて、月刊flowersで連載中の旅漫画『ドリームランドexp.』の中で触れさせていただいたところ、読者の方々から「いったいその食べ物はなんだったのか」という、たくさんの反響をいただきました。 というわけで、flowersの企画としてフィリップにインタビュー、編集の方に撮影していただいたいくつかの肴候補の写真を彼に見てもらい、それらしい物を選んでいただくという方法で、なんとかくだんの食べ物の正体を探ることにチャレンジ。雑誌上では、掲載スペースが限られていたこともあり、フィリップからのメッセージを全文載せていただくことはできなかったので、ここで、その写真とともに改めて紹介したいと思う。

フィリップからのメッセージ・・・・・
「まず日本の読者のみなさんにぜひお伝えしたいのは、日本の食べ物は世界で一番の部類に属するということ、私が日本にいる時は、いつも実に多種多様な食事をとれることに感謝しています。寿司バーやレストランでは、たくさんいい体験をしていますし、ツアー中にパスカルズが作ってくれた素敵な料理も忘れられません。
日本の食生活はとても素晴らしいです。フランスでは通常あまり無いような、たくさんの違う味わいの料理があり、また日本食を食べたあとはとても健やかな気分になるからです。(まあ、お酒やビールの量をほどほどにしておけばの話ですが。)
つまりそれで私は日本のマーケットでいろいろと食べ物を買ってみたくなってしまうわけです。日本語の読めない私にとって、毎回なんの情報も得られぬままに買うそれらの物は、驚きの連続でした。お店で、なにも読めずになにか買うというのは簡単ではないということは、ご理解いただけると思います。
例の食べ物ですが、私が覚えているのは、何種類かの違った種類の食べ物と一緒にレジ脇に並んでいたということですが、前菜なのかなんなのかわかりません。通常ああいう軽いスナックは、前菜かデザートだと思うのですが・・・
いつもは2〜 3種類を同時に買って、少しお腹も空いているし興味津々ということもあって、新しい味の冒険にわくわくしながらすぐにビニールの袋を空けてトライしています。 新しい味、ということについては毎回大成功です、それらはいつも実に未体験の味です。ただ、時には私の好みに合わないこともあるということは認めなければなりません。未知の物を探索するのはとても幸せなことです、しかし、そうした肯定的な側面があるにしても、すべての物を心地よく食べられるというわけではないのです。何回か、途中でやめてあとでもう一度トライしてみようとしたこともあり、それで味が変わるというわけでもないのですが、時には食べ切るということができることもありました。
というわけで本題ですが、例の食べ物は多分写真の5番ではないかと思います。確かではないのですが、5番に似たいくつかの肴を買った記憶があり、見た目はすごくおいしそうだと思ったのです。覚えているのは、たぶんあれはお肉か魚か他の何かで、ものすごく強い塩味で、弾力性があるために手でちぎることができなくて、しかし噛み切ることはわりと簡単でした。全部食べるのはものすごく大変でした。食べたあと、すごくたくさんのかけらが歯の間や口の中に残ってしまいますから、リキッドなどで口の中を洗わなければなりません。
写真を見た限りではそれはたぶん5番で、しかし似た物の中にとてもおいしい物もあったので、まちがえでなければと願っています。 私の選択が、悪い広告効果になってしまうのはよくないと思うので、何故それを食べた時、そんなにも深く失望したのかを説明します。
私は前に、これと似たような物を買って大変感謝したことがあり、それでさらに違うタイプの同じ種類の物を食べてみたいと思ったのです。しかしあれはすごく大きくて、すごく長く、ビールの助けを借りて食べ切るにしてもとても大変でした。しかし実際には、忘れ難いという点においてはとてもよい思い出となり、このおもしろい体験をまたしたいと、再び日本に行くのが楽しみになるというわけです。 ところで、写真7番は一体なんですか!!!?!!!すごく興味があるのですが。」

というわけで、結果は茎ワカメだった。これは私にはとても意外な結論で、ちなみにフィリップが興味を示した7番のちくわは、私がくだんの食べ物はちくわではないかと考えて候補に加えてもらった物だ。私は、フランスで歓談した時のフィリップの話の様子、その食べ物を説明する時の手付きから、それはちくわかチーズ蒲鉾だと思っていたのだ。茎ワカメだなんて意外だ。でも本人が確認したんだから、まちがいないんだろうな。

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'04,Oct
アスペンの休日
アスペン/ジョン・デンバーが作曲時に愛用していたギター 某イベントに、たくさんの友達が集まった。私の単行本にコラムを寄稿してくれたビル・ダノフとも1年ぶりに再会。
前に「ER」というアメリカのテレビ・ドラマの中で、ビルの歌「アフタヌーン・デライト」を口ずさむ恋人に対して、その彼氏がださいからやめろというようなリアクションをしながらいちゃいちゃするようなシーンがあったけれど、私は実は「アフタヌーン・デライト」という歌が好きだ。この歌がヒットした70年代にリアルタイムに聴いたことがあったわけではないのだが、つい数年前にビルの生演奏で初めて聴いて、いいなと思ったのだ。
そもそも私はビルの作る歌が好きなのだ。歌詞にも曲にも彩りがあって芸術的。美しい大人のファンタジーだ。カントリー・ロードのヒットなどにともなって、ジョン・デンバーやこの人をカントリー歌手だと思っている人も多いかもしれないが、ビルもジョン・デンバーも、カントリー歌手ではない。
だいたいにおいてなにかが大ヒットすると、その作品が本人のスタンダードなスタイルではないにも関わらず、それが代表作になってしまうのは仕方ないのかもしれないし、私は大衆受けしたカントリー・ロードも好きだけれど、ふたりとも他にもカテゴリーにはまりきらない素晴らしい歌をたくさん書いている、個性的でレアな天才だ。しかしながら歌詞が難解になりメロディーが独特の赴きを帯びるにつれて、ヒット・チャートからは遠く離れていってしまい、結果的に本人たちの本質的な素養が、メインストリームに乗ることが難しくなってしまったのだ。
ところで私はくだんのジョン・デンバーがアメリカで、カントリー・ロード以上にヒットさせたといわれているロッキー・マウンテン・ハイという歌の良さがしばらくまったく理解できなかった。歌詞は哲学的幻想的で素晴らしく美しいのだが、なんでこの歌詞にこの単調なメロディーなんだろう、と不思議に思っていたのだ。けれどある日、ロッキー山脈上空を飛行機でぶっ飛ばしていた時に、山脈から流れてくる風が、まさにあのメロディーであることに気付いたのだ。透明感、冷たさ、清清しさ、厳しさ、すべてが見事にそのものだった。ロッキー山脈に身近に接することの多いアメリカ人の胸には、あのメロディーがすんなりと響き渡ったのかもしれず、私もそれ以来しばらく、ロッキーの風に触れたいと思うたびに、中毒みたいにあの歌を聴く日々が続いた。
同様に私にとってのハードル、セザンヌの絵、という物がある。たいていの大家の絵には深く感銘を受けるこの私も、セザンヌの魅力はわからない。けれどフランス旅行から帰国した友人が言うことには、フランスのある土地で、まさにセザンヌの絵そのものという風景に出会い、その時セザンヌの才能の素晴らしさに大変胸を打たれたのだそうだ。
こんなふうに、見る側聴く側の経験値によって、作品に対する評価が個人の中で変わってくる場合も多大にある。じっと感動的エネルギーを内抱したまま存在し続け、こちらがその魅力に気付くのを待ってくれているような作品たちは、心優しい宝物だ。
私にはまだセザンヌの魅力はわからないけれど、絶大なる評価を得て後生に残り続けている彼の作品の持つその、きっと巨大であろう感動的エネルギーと、いつか偶然チャネルできる日が来るかもと信じて疑いません。